麻澤さんが農業を始めたきっかけ
笑顔が素敵な麻澤直希(あさざわ なおき)さんにお会いしに佐賀県まで行ったのは2022年の新米収穫の秋のことです。
麻澤さんは、佐賀県基山町に就農され、無農薬米の栽培を実践されている第一人者。農薬、化学肥料、除草剤を一切使わない農法に徹底的にこだわり、安心で安全なお米を作っています。
そんな麻澤さんが農業に取り組まれる以前は、17年間大阪で野菜の産直流通会社と飲食店の経営をしていました。そこで、世の中に流通しているお米や野菜に使われてる農薬や化学肥料、除草剤が及ぼす健康問題や環境問題を知り、真剣に考えるきっかけを得たのだそうです。
農薬を使わずに作られたお米や野菜がもっと気軽に手に入る世の中になるためには?そんな思いが麻澤さんの中で芽生え、農家の方々に無農薬で栽培してもらえないかと相談をしてみたところ、様々な事情がありそれはとても難しいことのようでした。
そこで、自らが理想とする世の中を作るには、自分が農家になるしかないと決意され、なんと家族で福岡県へ移住!2017年に「特定非営利活動法人 私善」を立ち上げ、自然環境・消費者・生産者の健康のために農薬・化学肥料・除草剤を使わない社会を目指して、活動を始められました。
まずは就農できる地域を探し、紆余曲折を経て出会った土地が佐賀県基山町でした。野菜づくりから開始して間もなく、中山間地域における後継者不足にて耕作放棄されそうな休耕田が増えつつあることを相談されたようです。そして、稲作を独学で学び、出来るだけ最上流の土地を開墾するところから始めたそうです。
本当に安心・安全なお米とは?
「無農薬」とは、栽培するときに農薬や化学肥料を一切使わないことを指していますが、市場に流通するお米の中に、「無農薬」とうたって販売されているお米は、実は多くはありません。さらに無農薬とは農薬を使用しない栽培方法で生産された農産物ですが、その中でも「土壌に残留したり周囲から混入する農薬を含め、一切の残留農薬を含まない農産物」は、かなり少ないのです。
つまり無農薬の中でも非常に厳格な基準を設けています。
そのため、麻澤さんは川の最上流の土地にこだわって農地を探されたそうですが一人で土地の開墾をするのはとても大変な作業のはずです。しかも、大阪から来たよそ者がどれほど出来るのか、最初は周囲の農家さんも不思議そうにその作業を見ておられたそうです。
しかし、有言実行でやり遂げる麻澤さんの農業への姿勢が地域の方々にも伝わり、今では麻澤さんに無農薬農業を教わる人たちも増えてきたそうです。
無農薬農業は難しいのか
日本はどうしても農業にかけられる土壌が少ないため、海外からの輸入にも頼っています。そのため、スーパーなどで販売されているお米や野菜は、長距離を輸送してくる関係で腐敗防止のために大量の農薬を散布されていたり、日本で栽培されたものであっても、流通に乗せる過程で一定の品質や規格を保つために農薬の使用を決められおり、農薬や化学肥料を使われたものが多いのが現状です。
また、少子高齢化の影響で日本の就農者も減少しています。
決して多くない日本の農家の方々が、限られた農地の中で、生活が安定する収入を得られるためのお米の収穫量を確保したいと思うと、生産性を高めるため苗の間隔を狭めて栽培したり、害虫を駆除するために農薬や除草剤などに頼った栽培が多くなります。
一般的には農薬や除草剤を使わずにお米を栽培するのは、生産量が少なかったり、手間暇がかかってその分人手も多く必要になるなど、生産コストがかかりすぎてしまうイメージがあります。
しかし麻澤さんは無農薬で農業をすることは、実は農薬にかけるコストが無くなるためその分利益があげられると言います。
実際に、適正な苗の間隔で栽培して風通しを良くしてやったり、草引きのタイミングを研究するなど、農薬を使わずに充分な収穫量を目指せる栽培方法を研究し、実践してこられました。
さらに効率的に田んぼの見守りができるよう、毎年の田んぼのデータを蓄積してスマートフォンで管理を行いました。そうすることで、無駄な見回りを減らしてガソリン代や人件費なども削減できたと言います。
特に麻澤さんが実践しているのは農薬、化学肥料、除草剤を使わないのはもちろんのこと、なんと肥料も使用していません。
肥料を使わないと土壌がやせてしまうのではないか、といったイメージを持つ方もおられるかもしれません。しかし実は肥料を使わないほうが良い土が育つのだそうです。
このように積極的なデータの活用や機械効率化、そして農薬や肥料も使わないことでコストカットをして最大限の利益を生み、自然環境をも守っていける…。物流の仕事をされていた麻澤さんの目線と経験が生きた農法だと言えるのではないでしょうか。
社会の構造を変えたい
麻澤さんはただ無農薬の農業をしたいのではありません。
未来のために、安心安全な自然栽培の農産物が当たり前に手に入る社会にしたいのです。
そのためには無農薬で栽培する農業が事業モデルとして優れており、ひとり事業でもきちんと収入を得られると社会に浸透することが大切だと考えています。
農薬などを使わずに中山間地域の低温で栽培したお米には、粒が小さかったり一般的には規格を外れるものが収穫されることもあります。ですが安心・安全なお米が欲しいというニーズに合ったお客様に提供できる販売ルートが確立されていれば、商品価値を高めることもできます。
無農薬で栽培された安心・安全なものを求める消費者。
安心・安全なものを作ったほうが安定した収入が得られる生産者。
それらがつながり循環する社会。
このように売り手よし・買い手よし・世間よしの精神があれば、消費者の健康、生産者の健康、自然環境の健康を同時に守れる事業として成立すると考え、自ら実践しながら発信されています。
農家の仕事は安心安全なものをつくること
麻澤さんは決して真新しい農法をしているのではなく、町のご高齢の方々が「そういえば昔はそのやり方だった」とおっしゃるような農法と、近年研究されてきた農法を上手に取り入れてお米作りをされています。
そんな麻澤さんが実践する無農薬農法は年々実績を積み、町全体で新しい取り組みをしていこうと周囲の生産者にも広がっています。
苗を一本で植えて、無農薬で栽培していると扇型分けつが起こって1本が48本程になる。それと同じように思いが伝わるごとに社会に好循環が生まれていくのではないでしょうか。
麻澤さんは言います。「農家の仕事は安心で安全なものを作ることだ」と。
「美味しさは、消費者が決めるもの。美味しくなければ、美味しく調理してくれるはず」と。そして、無農薬のものをじわじわと社会へ浸透させて、裏側から安心で安全な食べ物を流通させて、「あぁ、外食で農薬まみれのものを食べちゃった」と不安に思う人にしれっと言ってあげたいのです。
「大丈夫、それ農薬まみれじゃないよ、安心して!俺のところが卸しているやつやから」と。
終