
「ふゆみずたんぼ」とは、冬季湛水(とうきたんすい)とも言い、冬の間もたんぼに水を張っておく農法のことをいいます。宮城県大崎市田尻で、この農法を実践して自然と農業が共存する取り組みを実施されている、伸萠(しんぽう)ふゆみずたんぼ生産組合の事務局長、西澤様にお話を伺いました。

宮城県大崎市でふゆみずたんぼ農法を用いて作る「ふゆみずたんぼ米」を生産する
農家の任意団体として活動される生産組合。自然環境と農業の共存を目指し広く活動されています。
宮城県大崎市は宮城県の北西部に位置し、平成18年に古川市、松山町、三本木町、鹿島台町、岩出山町、鳴子町、田尻町の1市6町が合併して誕生しました。秋田県や山形県にも隣接する大きな市で、この大崎市の東側に、田尻地域があります。
田尻地域には蕪栗沼(かぶくりぬま)という、1000ヘクタールほどの広大な湿地がありました。
昭和17年頃、戦後の食料難の解消などを目的にその湿地エリアを開墾し、田んぼにしました。湿地の90パーセントは田んぼになり、言い換えればそれだけ米を作る面積を増やした結果、米を収穫できるようになり、戦後の食糧難の解消に繋がりました。宮城県は昔あった湿地の93%が全て田んぼになったことで、米どころと言われるようになったのです。
ですが、それによって渡り鳥の生息地である湿地環境の減少にもつながっていきました。
沼地での田植えは、稲を植えていくうちに体が腰ほどまで沈み込むほどで、開田するのは容易ではありませんでした。また、沼を田んぼにしたことで明治から昭和初期の頃は大雨が降ると堤防が決壊したりあたり一面が水浸しになってしまうこともあったそうで、近年でも台風などで大雨が降り、田んぼがまるで池のようになってしまい、お米が収穫できないという被害が起こることもありました。
農業は、こういった自然災害に最も弱い産業という側面も持ち合わせています。
宮城県は湿地減少率が全国で最も高い県です。県内の湿地が減少した一方で、この地域はマガンや白鳥などの渡り鳥が、遠くシベリアなどから飛来する地域としても有名です。特にマガンはアジアに飛来するうちの8割以上、実に14万羽以上がこの宮城県の蕪栗沼周辺に飛来しています。
そんなマガンたちがこの地域に渡ってきて、特に湿地を好んでねぐらにします。しかし開墾のために湿地が減少したことで、残った蕪栗沼に渡り鳥が一極集中するようになりました。
渡り鳥の飛来数は年々増えてきて今や20万羽を超えるとも言われていますが、湿地環境をこれ以上増やすことは出来ません。過剰な鳥の飛来は沼の水質汚濁の問題も懸念され、何とかして鳥の住処を増やしていくことは出来ないかと考えられたのが、この地域でふゆみずたんぼ農法に取り組むということでした。
秋に収穫すれば春まで全く使用していない田んぼを活用し、冬の期間に田んぼに水を入れて、沼の機能を分散させようという試みです。
蕪栗沼周辺農家での「ふゆみずたんぼ」の取り組みは、そういった渡り鳥の環境問題を改善していくことをきっかけとして始まり、その後農業者10戸が集まって2007年(平成15年)伸萠ふゆみずたんぼ生産組合が設立され、ふゆみずたんぼ(冬季湛水)作業や水田生き物調査、蕪栗沼の自然再生活動、市やJAが主催する各種イベントへの協力を行うことを主な活動内容として、精力的に活動されています。
対立から共存への歩み

最初は、この地域にマガンが多く飛来することで、面積が小さくなった蕪栗沼だけではマガンの食料が足りず、周辺地域で育てられているお米をマガンが食べてしまうという食害の問題がありました。
今でこそマガンの食害を殆どなくすことが出来るようになりましたが、ここに至るまでには農業生産者の苦労や多くの努力がありました。
自然保護団体NPOによる野鳥保護、自然環境保全の考え方など、人を守るのか鳥を守るのか論争で、それぞれの立場から意見の対立などもありました。
渡り鳥たちを害獣とするのではなく、どうすれば鳥と農業、環境が共存していけるかに着目し、自治体としてふゆみずたんぼプロジェクトを推し進め、県や国の支援なども得ながら、少しずつ蕪栗沼の重要性への理解が浸透していきました。
環境省の環境白書では、この蕪栗沼周辺のふゆみずたんぼ農法における経済効果が530億円に上ることが紹介されていたり、国土交通省の文献でも洪水緩和効果の有用性についても紹介されています。また、ふゆみずたんぼに水を張り、そこで貯えられる水量と同等のダムを作った場合、年間2,700万円ほどのコストがかかってしまうという国土交通省の試算が発表されるなど、ふゆみずたんぼの経済効果は野鳥保護だけでなく様々な観点からも評価されています。
そのような背景を経て、2005年(平成17年)11月、国際的な環境条約といわれているラムサール条約に、「蕪栗沼・周辺水田」が登録されることになりました。
ラムサール条約とは、1971年にイランのラムサールで開催された国際会議で採択された国際条約のことで、正式名称を「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」と言います。
世界各地の湿地や干潟など何百か所もこのラムサール条約に登録をされていますが、たんぼである「周辺水田」を含めた形で登録されたことは世界で初めての事でした。水田が生産の場としてだけでなく、生物の多様性を支える重要な場所として認識され、それが国際的に周知されたことは画期的なことでもありました。
近年、兵庫県豊岡市のコウノトリを保護する丸山川周辺水田もこのラムサール条約に登録され、世界でたった2箇所のとても貴重な地域と言えるでしょう。
自然が作る良質な田んぼの土
田んぼに水を入れるのに、川からそのまま水を汲めば良いというものでは、実はありません。水利権というものがあり、国の法律でこの冬の期間に川から水を入れることは出来ないのです。
そのため最初の頃は川以外の水源から全長250メートルの送水ホースや3000メートルのパイプラインをひいて、エンジンポンプや水中ポンプを使用し、田んぼに水を入れるようにしていました。
それは非常に大変な作業でしたが、県の環境配慮型圃場整備事業を活用して、生物多様性を活かした有機農法(ふゆみずたんぼ農法)の実践に配慮した圃場整備工事を実施しました。これまでは周辺地域にバラバラに点在していた水を貯める田んぼを集約し、20ヘクタールもの大きなふゆみずたんぼエリアを整備しました。
渡り鳥も集まりやすく過ごしやすくなり、より効率的に田んぼに水を入れることも出来るようになりました。合わせて揚水機場も整備され、そこから直接送水が出来るようになり、以前のようなポンプやパイプを設置したりという大変な作業が削減されました。

冬が終わると、水を抜く季節がやってきます。
水を張った後の田んぼには、稲刈り後の稲株や藁が残っているものですが、越冬した後にはそれらはすっかり無くなっています。水の中にいる水辺微生物が有機物を全て分解するためです。
水田にはおよそ5600もの生物が生息しているといわれており、そういった微生物の働きで有機物が分解されて、春になるとそのまま田植えが出来るような、ふかふかの豊かな土壌になっています。人の手ではなく、生き物の力で良質な田んぼを作ってくれるのです。
水を入れればすべての田んぼでそのような状態になるかというとそうではなく、有機物を分解してくれる生物たちが土の中で元気に過ごせるように、蕪栗沼周辺のふゆみずたんぼでは農薬や除草剤といったものを使わないようにしています。
実際、そういったものを使用して冬の間に水を張った田んぼでは、稲の根元は分解されずにそのまま残っているようです。
ふゆみずたんぼの土壌が豊かであることは、鳥たちも教えてくれています。
蕪栗沼周辺には年中を通して様々な種類の鳥類が生息しており、多種多様な夏鳥も、ふゆみずたんぼとして冬場に水を張っていた田んぼに好んで集まってきます。
それは、冬に水を張った田んぼには、豊かな土壌にたくさんの生き物が生息していて、夏鳥の豊富な餌場にもなっているからです。

アイガモロボットは稲が小さい間使えるロボットで、太陽光発電で動いて日が出ている朝から夕方まで、お掃除ロボットのように田んぼの中を動いてくれます。このロボットが土を混ぜることで田んぼが濁り、雑草に日の光が入らないようにして雑草の繁殖を抑制するものです。稲が大きくなると使えなくなるので、人の手による除草機の作業が必要になっていきます。
また田んぼに水位計や給水装置を設置しています。
「田んぼの水見」と言って、農家は毎日田んぼをチェックし、稲の発育状態に合わせて田んぼの水位を調整しないといけません。それはお米を作る上で休む事が出来ない大変な作業の一つです。田んぼに水が少なければ水を入れないといけないし、多ければ水を止めないといけません。就農する人がますます減少しているこれからの時代、それでも農業を続けていくために、スマート農業という分野の研究は進められていて、様々な機械の導入で農家の負担軽減を図り、農薬を使わない農業を続けられる環境整備を進めています。
生産現場だけではない農業の役割とこれからの日本

伸萠ふゆみずたんぼ生産組合では、田んぼを生産の現場のみならず、子ども達の学びの場として地元の小学生などが田んぼや沼を環境教育の場として活用できるよう、NPOや町と協力しています。
農薬を使えば生物はいなくなってしまいます。
蜘蛛やカエルなどは、稲を食べる害虫を食べてくれる働きがあり、農薬を使わなくてもお米を作ることが出来る手助けをしてくれたりします。
そんな自然との共存の知恵など、ふゆみずたんぼ農法は色々なことを私たちに教えてくれるのです。
ふゆみずたんぼの環境教育に参加した子供たちから、こんなお手紙が届きました。
「私たちが食べている同じお米をマガンたちも元気に食べているでしょうか。そんなことを思いながらお米をいただいています。鳥たちと同じお米を食べているんだなぁと、とても嬉しい気持ちになりました。」
普段何気なく食べているお米も、そこには生産者の人たちの様々な想い、そして渡り鳥のロマンが込められているということが少しでも伝わると、生産者冥利に尽きると感じます。

蕪栗沼周辺では、渡り鳥が飛来する冬の季節の朝に、マガンの大群が広い空を埋めつくす、日本の原風景ともいえる光景が見られます。
農業という職業は農産物を作って消費者に届けるだけの職業ではありません。
多様な生物の生態系と共存し育み、農村の原風景を守りながら、日本の豊かな食生活につなげていくという大切な役割を担っています。
今、気候変動や地球温暖化によって様々な災害が起こっています。
それは、人間が便利に暮らすためにしてきた様々な活動が、地球の容量を超えているからなのではないでしょうか。
西澤さんはこうおっしゃいます。
「地球の自然環境を守り、子ども達に豊かで安心安全な未来を残していくために、私が考える一番良いと思っている方策があります。
それは、みんなが農業をすることです。
5月や10月に、全国の学校も会社も1週間ほどお休みして、農家に行って農作業をお手伝いして、そこで得た労働対価としてお米を頂く。そうすることで、みんなが幸せに暮らせる社会が作れるのではないでしょうか。
マガンたちが見せてくれる日本の原風景をこれからも守っていく農業の大切さを、ふゆみずたんぼのお米を通して知って頂ければと思います。」
