
奈良の伸縮自在な生地と奄美大島の伝統産業が出会った

株式会社ラック産業は1966年に創業された繊維製品の製造販売会社です。
奈良県磯城郡に本社を構え、タテ・ヨコ・ナナメに伸縮自在なストレッチ性のある生地を作ることを得意とされています。肌触りの優しい生地は、肌着をはじめ様々な衣料品に展開され、着用する人に優しい品を自社一貫生産体制で造られています。
現在は代表取締役社長 吉川 友嗣(よしかわ ともつぐ)さんが2代目として活躍されています。
ラック産業 HP https://luc-group.co.jp/
着る人に優しいものをつくるため、生地の素材選びから縫製、染色にまでこだわってものづくりをしています。特に染色では奄美大島の泥染めという天然染色技法を取り入れており、天然染色を行う株式会社アマミファッション研究所という関連会社を奄美大島にお持ちです。
今回はラック産業さんが大切にしている天然染色の技術について、ラック産業の吉川さんと、アマミファッション研究所の主任研究員、原 暁穂(はら あきほ)さんにお話を伺いました。

▶快く取材に応じて下さるラック産業株式会社の吉川様(画面左上)と原主任研究員(画面左下)。
インタビュアーの基弘会山本(画面右下)とスーパーバイザーとしてプロライターの池田氏(画面右上)も同席。
吉川さんと原さんは、大学時代からの友人同士です。
ラック産業さんが天然染色を自社製品に取り入れるようになったきっかけは、現会長である先代が、当時取引先におられた奄美大島出身の方から奄美大島の抱える課題について相談されたことがきっかけです。
当時、奄美には進学高校はあるものの、若者たちはIターンで九州や本州へ出てしまい、若者の離島が進んでいました。島育ちの方は地元愛が強く、故郷の島にいつかは帰りたいという想いを持っているものの、島へ帰ってもそこに仕事が無く暮らしていけない、という事情があって、どんどん人口流出が続いてしまっているという状態でした。
現在でこそ、ユネスコの遺産登録もされた奄美大島は観光地としても注目を集め、日本人なら誰もが知る島の一つですが、当時の奄美大島はまだ知名度も低かったそうで、観光業としての仕事なども当時はあまり多くなかったのだと思います。
そんな話を聞いた会長は、奄美大島の地域活性化や雇用問題の解決など、企業として役に立てることはないだろうか?と考えるようになりました。
ある時、その相談者である奄美の方から、医療法人徳洲会の設立者で元衆院議員の徳田虎雄さんを紹介して頂きました。徳洲会病院は、徳田さんが幼少期に24時間診てもらえる病院がなく兄弟を病気で亡くされた経験から、過疎地域へも24時間体制の医療機関を広めた功績を持つ医療法人です。強い想いを持って奄美という離島にも24時間対応の病院を開設された徳田さんから、地元への熱い想いをお聞きし、徳田さんからのたっての依頼もあり、奄美の地に繊維業を持っていけるのかどうか熟考し、地盤作りとして進出することを覚悟し着手したそうです。
しかし、島という場所にその地元の人でない人間が根付くというのは、容易なことではありません。
奄美大島の繊維業といえば、日本人なら誰もが知っているであろう「大島紬(つむぎ)」。有名な伝統ある産業です。
ですが、ラック産業が企業として大島紬を作ってしまうと、それは地元の産業を侵す行為にしかなりません。とはいえ「繊維業」を生業とする自分たちが、奄美の地域資源を活用しながら出来ることは何なのか?を必死に考えたそうです。
そこで会長は大島紬の染め方である、奄美の伝統的な「泥染め」に「天然染料」を組み合わせ、天然染料の優しい色合いに泥染めが持つ効果効能をプラスして、ラック産業のタテ・ヨコ・ナナメの伸縮性のある特殊な生地で、肌に優しい腹巻や肌着といった普段使いの衣料品の生産拠点を奄美に作ったらどうか、ということを考えました。
奄美にはこれまでも丁寧なものづくりをする土壌はありました。
男性は漁をし、女性は子どもを育てながら時間のあるときに機織りをします。そんな生活の中で1枚1枚丁寧に作るという習慣はあり、自分たちのペースでやる仕事はとても丁寧です。
ですが、内地の企業がものづくりをする時には、どうしても量産をして利益を出すという事をする必要があります。奄美の人たちはそのような「期日までに数をこなす」ということが苦手で、先代がとても苦労したことだったそうです。
しかし少しずつ地元の協力を頂けるようになったことで、ラック産業株式会社の関連会社としてアマミファッション研究所が、鹿児島県奄美市の最初の誘致企業となりました。
ちょうどその当時大学を卒業したばかりの原さんがアマミファッション研究所の研究員として奄美に移住しました。地元の方からの信頼も厚く、長年に渡って天然染色、泥染めの技法を確立してきました。
先代のアイデアと行動力、原さんの存在なしにアマミファッション研究所はないと、吉川さんは言います。
泥染めと天然染色の技術

1300年の歴史をもつ奄美大島の泥染めという技法は、元々は植民地であった時に泥田の中に反物を隠したら反物が染まったということから始まったといわれています。
そんな泥染めに天然の染料をかけ合わせる技術を作ったアマミファッション研究所。泥染めの泥はもちろん、天然染色の染料なども、草木や茜といった天然の染料を使います。
そんな自然のもので染めるため、色味が安定しないことや使っていく中である程度色落ちをしてしまうことがあります。今でこそ「自然なもの」だから仕方のないこと、むしろそれが「使いこまれた美しさ」とも言えるのですが、当時は天然染めだから色が落ちます、ということは通用しない時代でした。
高度経済成長の時代は、商品の色の違いや色落ちなどは品質が悪いとされ、安定した色味、落ちない染色技術というのが求められました。
原さんが当時も今も研究・開発を進めながら、安定した発色や落ちにくい染め方などが出来るようになっていきました。
大島紬の泥染めは手染めで行われるためとても高価なものですが、それを原さんは機械で染められるようにオートメーション化して、価格を押さえることにも成功しました。
商品によっては糸の状態で染めたり布の状態で染めたり、綿やナイロンなど多種多様な衣料品に染めていくのは本当に難しく、商品によっては原さんが手染めをすることもあるのだそう。藍染などは手染めをするのですが、手染めをした後は手の爪が真っ青に染まってしまうそうです。
原さんは、研究者でもあり、職人でもあるんですね。
泥染めは鉄分を多く含む「赤土」を使って温度や湿度が高いところで土が発酵することで繊維が染まるそうです。本来の泥染めは泥田で染めるのですが、そうすると重機や土地や様々なコストが高くなってしまうため、原さんが泥の中から成分を抽出して、機械で染められるように開発しました。
それでも天然を相手にするため、染料の中に入っている成分にはばらつきがあり、そこを原さんが長年の職人としての勘によって手を色素で染めながら調整しているのです。
とても緻密で繊細な技術が求められる仕事ですね。まさに職人技なのです。
原さんの貢献はこれだけではありません。
原さんは研究主任という役職です。
奄美大島では、70年前に植民地から変換される際、その独自技術を保護するため、黒糖焼酎と本場奄美大島紬の泥染めは、奄美群島でしか作られていない、国から守られた特別な産業になっています。

▶奄美大島産の手織り・泥染めの商品だけに、「地球印」の商標がつけられる
ですがそれらも様々な課題があり、例えば焼酎ブームにより黒糖焼酎も販売量が増えたのですが、同時に製造時に出てしまう焼酎のもろみが海洋投棄される問題がありました。
ある時、アマミファッション研究所と鹿児島大学、奄美市が産学官連携事業で黒糖焼酎のもろみを活用した化粧水の開発・事業化を行いました。これに貢献したのも原さんで、原さんが「研究主任」という役職であるのは、染色だけではない幅広い多種多彩な知見があるからです。
アマミファッション研究所は、創業者である会長が、奄美の地域の産業活性化のために地域資源を活用して何が出来るのかを考え取り組み、2代に渡ってそれを奄美の地域に根付かせ、継続されているのです。
時間もモノも資源も無駄にしないものづくりを目指す

現在、染色に関する技術は原さんが主として請け負っており、数名のパートさんがそのお仕事を支えていて、染色の技術者として後任がいないことが課題です。
天然染色、泥染めの行程の全てを機械でオートメーション化しているわけではなく、天然素材を相手にする染色は、その時の天候や条件で微妙に配合を変えるなど、臨機応変に対応することが必要で、それは長年培ってきた職人としての勘のようなものが必要だったりするのです。
本来の奄美大島紬の泥染めが出来る職人も、昔は島に100名ほどおられたそうですが、今は4~5名しかいません。
歴史ある泥染めを守るため、またアマミファッション研究所の染色工場としても、事業継承は重要な課題です。
奄美大島はサーファーの聖地としても有名で、日本国内においても人気のスポットになりました。また、インバウンド需要も高く、その対応も必要になったため、島内の雇用問題も深刻化してきています。
そこに輪をかけて最低賃金が上がってきていることで、なかなか最適な雇用が進まないという問題があります。
また、染色の依頼も、仕事量には波があるそうで、個人ブランドからのご依頼などスポット的なものも多かったりするそうです。
天然染色は、どんな色にでも染められるというわけではありません。天然にあるもので作るから出せない色があったりと、色んな条件があります。
でも、肌にはとても優しく、肌馴染みの良い色味や使うごとに自然変化する風合いが天然染色ならではの良さだったりします。
「人に優しく環境に良いものづくりがしたい」とか、「この仕事を続けることが人の幸せになること」だとか、そんな思いを共感できる人たちと、時間もモノも資源も無駄にしないようなものづくりをしていきたいと、ラック産業さんは考えています。
そんな様々な経営課題をクリアしながら、きちんと仕事を獲得して収支を成り立たせて、事業を継続していく。それが会長の志を続けていくことそのものなのです。