80歳のお母さんが愛を注いだ高橋さん家の無農薬政所茶

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政所茶(まんどころちゃ)とは

政所茶は、滋賀県東近江市政所町で古くから栽培されているお茶で、室町時代に最澄が中国から茶の樹を比叡山に持ち込み、そこから永源寺の越渓秀格禅師が、地質・水質が適した政所の地に、茶の栽培について村人へ奨励したことに始まったと言われています。この地域の特産品として600年以上の歴史をもち、献上茶として全国に名を馳せてきた銘茶です。

しかし近年は集落離散や少子高齢化により生産量は最盛期の30分の1以下まで減少し、生産者の平均年齢も70歳を超え、「幻の銘茶」と呼ばれています。

その一方、政所茶の栽培は産地全体で無農薬栽培が続けられており、全国でも希少な在来種を多く保有し、肥料にはススキや油粕などが使われるなど、昔ながらの製法で栽培されています。

食の安全が見直されている昨今、愛知川(えちがわ)原流域の綺麗な水を守り、生かしながら育てられた政所茶は、赤ちゃんも安心して飲めるお茶として、改めて全国から注目を集めているのです。

80歳のお母さんが愛を注ぐ高橋農園

高橋農園は、齢八十のお母さんが切り盛りする茶園です。

滋賀県東近江市の北東部、三重との県境に位置する奥永源寺地域の集落のうちの一つにあり、愛知川支流のうちの1つ御池川(おいけがわ)のほとりで豊かな水源の恵みを受け政所茶の在来種原木を栽培しています。

茶の産地では宇治などが有名で、茶畑を想起するときどこまでも続く整然と並んだ茶樹の風景が頭に浮かぶ方が多いのではないでしょうか。

しかし政所の場合は昔から家庭ごとに栽培されてきたような歴史から小さな個人農園が多く、集落に茶畑が点在しているような風景です。ですから茶畑が広々と続いているようなイメージをして政所を訪れると、どこに茶畑があるのかと聞かれてしまうのだそうです。

高橋農園はその中でも広い敷地の農園で、およそ200坪ほどの土地に、大きさもまばらなお茶の原木が植えられています。

機械化された茶畑のそれとは違い、直径1.5メートルほどのもっこりした茶の樹がマリモのようにぽこぽこと地面に植わっているのが、政所ならではの希少な原風景と言えるでしょう。

高橋農園では、息子さんご夫婦もお母さんをサポートしながら昔から受け継いできたこの原風景を大切に守っています。

上流に住む人間が農薬や化学肥料を使って自然を汚してはいけない。政所が昔ながらの無農薬栽培を守ってきたのには、そんな自然環境を大切にする強い思いが根付いているからです。

だからお母さんはお茶の栽培にも愛情をたっぷり注いでいて、毎日足繁く畑に足を運びます。

そして手作業で雑草や茶の実、茶の花を摘んで少しでも葉に栄養がいくようにと心を込めています。同じ政所茶を栽培する他の農園でも、そこまでの作業をする農園はあまりないそうです。

「そんなことしなくてもって、近所の人にも笑われるのよ。」そんな風に言いながらお母さんの足は畑に向かいます。

お母さんにとってお茶の樹はご先祖様から受け継いだ宝物、我が子のような存在なのです。

原風景が今に残る理由

そもそもお茶の葉は、商業的に収穫しようと思えばたくさん肥料を与えてどんどん収穫できるそうです。しかしあまりにも短い周期で収穫しすぎると茶の樹が傷んでしまいます。

なぜなら、樹は生きているからです。

高橋農園の政所茶は、年3回、春(春番茶)・初夏(煎茶/新茶)・秋(秋番茶)に収穫しています。

収穫するお茶には煎茶と番茶があります。

煎茶とは日光を遮らずに栽培し、茶葉を蒸して揉みながら乾燥させた茶葉のことです。

初夏に収穫されるのは新しく伸びてきた柔らかな新芽で、これは煎茶に加工されます。

番茶とは、新芽ではなく二番茶以後のかたい茶葉を茎とともに刈り取って製茶したものをいいます。政所では平番茶が一般的で、揉まずに高温で蒸して乾燥させて作られた茶葉です。

秋に収穫される番茶は秋番茶と呼び、夏の煎茶のあとに育った葉を刈り取ります。固い葉は含まれるカフェインが非常に少ないので、お年寄りや赤ちゃんまで安心して飲めるお茶です。

春番茶は越冬した後、新芽が出る前の固い葉を刈り取ります。

政所の地域はお茶の産地としては珍しく、冬にはかなり積雪する地域で、時に1mを超える雪が茶樹に積もることもあります。品種改良をされた茶樹だとそんな雪の重さに耐えられず倒れてしまうのですが、政所茶の在来種の茶樹は枝に粘りがあるので、厳しい冬の積雪にも耐えてくれる力を持っているのです。

前述の通りお茶の収穫はしようと思えばどんどん収穫できます。政所茶も明治の頃までは3番茶まで収穫していたようですが、時代と共に栽培農家の減少、販売量の減少で今は1番茶のみの収穫を行って、そのあとは樹を休ませているそうです。

当然ながら樹を休ませてあげると番茶はもっと美味しくなります。

結果として政所で栽培されている茶の木が枯れることなく何百年も生き続けてきているのは、樹の健康を阻害してしまうような商業的な農法をする必要性がなかったこと、農家の皆さんが樹と自然を大切に共に暮らし続けてきたからに他なりません。山の斜面にある集落だったことで、近代的な機械化や大規模な商業化がしづらい地域であったことも、結果として昔ながらの原風景が今に残せている要素でもあるのでしょう。

お茶は待ってくれない。風味を左右する収穫のタイミング

1回の収穫では実に80キロもの茶葉を収穫します。お母さんと息子さんご夫婦では数日かかる大変な作業です。

その収穫のタイミングを見極めるのは、他ならぬお母さんの長年の感覚です。

お茶は生き物ですから、お母さんは「お茶は待ってくれないよ」とよく言います。

午前中に摘むお茶の葉と午後に摘むお茶の葉では味が変わるほど茶の葉はグングン成長しますから、人間の都合に合わせて収穫するのではなく、お茶に合わせて収穫するのが昔からのやり方です。

雨など天候によっても味が左右されるほど繊細なお茶。お母さんは毎日のように畑にいき、葉の育成状況と天候を見極め、美味しく育ったタイミングで大切に収穫していくのです。

お茶は手入れ次第で本当に味が変わります。

毎日お母さんが足繁く畑に出向き、草取りをしたり茶の花、実を摘んだりして手入れをしている高橋農園のお茶は「土の味がする」と評されます。それだけ優しく、純朴で力強いお茶なのです。

また、在来種の茶樹というのは均一化されていない、1本ごとに個性がある樹のことです。つまり株1本1本がそれぞれ違ったDNAを持った個体であり、お茶の風味も株ごとに異なります。それは他のお茶ではあまり見られない、政所茶ならではの面白さと言えます。

収穫した葉は、蒸す・乾燥するなどの工程を経てお茶に加工されます。

80キロもの葉を加工するには手作業では出来ません。個人農家が主流の地域なので、町が運営する茶工場に持ち込んで加工します。

ここで春と秋には番茶(平番茶)を、初夏には煎茶を、加工していきます。

政所茶のおいしい飲み方

煎茶と番茶、それぞれの美味しい飲み方をご紹介します。

番茶(平番茶)は煮出して味わうのがおすすめです。ヤカンにたっぷりのお湯を沸かして、番茶をそのまま入れ、数分間沸かします。すると黄金色のようなしっかりとしたお茶になります。沸かしたての温かいお茶も美味しいですし、冷蔵庫で冷やしても美味しく味わえます。

この番茶は「赤ちゃん番茶」とも呼ばれ、カフェインもほとんど入っていないので体を冷やしにくく、赤ちゃんだけでなくお年寄りや妊婦さんにもおすすめです。さらにはカテキンが豊富に含まれているので風邪予防にも効果的です。

煎茶は、番茶のようにぐらぐら煮出してしまうとその繊細な風味を損ねてしまいます。
ですから沸騰したお湯をそのまま注ぐのではなく、お湯を沸かしてから70度程度の湯冷ましを作り、それを急須に入れてゆっくりと抽出していきます。数分おくと、ふわりと茶葉が広がって胸がすくような香りのする透き通った緑のお茶が出来上がります。

年に1回しか収穫できない希少な煎茶で、その味わいを何度も楽しんで頂きたいです。

2煎め、3煎めは90度程度のお湯で抽出して頂くと、また美味しく味わっていただくことができます。

後世に伝えたいお母さんの夢と日本の文化

お母さんは「ご先祖様から受け継いだ大切な茶園は、自分の代まではなんとか守り切る」その思いだけを胸に今まで茶園を守って来られたそうです。

息子さんも、もちろんこの希少なお茶を後世に遺していきたいと考えています。ですがそれは息子さんが農園を継ぐということだけでは叶いません。

この希少なお茶を守っていくためにはまず収穫した茶葉をお茶として商品にするための茶工場の存続が必要です。

茶工場も今はまだ稼働していますが、栽培農家の減少で稼働する日が減ってきており、今後作り手がいなくなれば稼働しなくなります。そうなると経年劣化で機械が壊れるなどすれば、新しい機械を購入するのも難しくなります。

地元での加工ができないとなると他所の地域の茶工場に持っていくしかありません。しかし農薬を使用された茶葉がそこで加工されていたら、せっかく無農薬で作られた政所茶にも農薬が混入してしまい、その価値が失われてしまうのです。

そして、昔ながらの方法で丹精込めて作ったお茶を後世に残すためにもっとも重要なことは、みなさんに飲んでいただくことです。

それがあってこそ、農家として存続することができます。

どうやってこのお茶を残していくのかが私の命題だと息子の高橋さんも言います。

それには政所茶の関係人口をいかに増やすか。農・工・商をいかに繋げていくかが課題です。個人農家というところも、政所茶の良いところなのですから。

お茶というのは日本の文化です。

来客があった時、玄関の上がり框で腰掛けながら話をするのが昔からある風景で、お母さんは大切な客人のためにお湯を沸かし、湯呑みと急須と湯冷ましを用意して、客人にお茶を淹れます。

その時にできる「間」や、お茶を淹れおもてなしをする行為そのものが日本の文化であり、政所の高橋さん家にはそれが今もなお残っています。

政所茶が失われるということは、そんな文化が消えていくことでもあるのです。

この滋賀県の小さな集落にまだ残る日本の原風景を私たちも守りたい。政所茶を守り、自然環境を守り、文化を守りたい。

この希少なお茶を多くの方に飲んでいただくことで、その第一歩を踏み出すことができます。

ぜひ、ほかにはないお茶を味わいながら、日本の文化を守ることに寄与してみませんか?

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